Jul 19, 2017

この年齢になって家族の良さを知りました by Kitamura

北村です。

突然ですが、皆さんは家族と仲良いですか?

僕は結婚するまで(正確には今の奥さん)と出会うまでは、全く興味がなかったです。

両親には少しばかり関心がありましたが、兄弟に関しては他人に等しいくらい興味がありませんでした。

うちは3人の男兄弟で、僕は末っ子です。

兄弟とは実家に一緒に住んでいた時も、外であってもまともな会話をした記憶がありません。
たまに話をしたかと思えば、「新聞とってこい」の一言だけです(笑)

お互いのことを母親から又聞きでなんとなく状況を把握する程度でした。

僕も兄もお互いを肯定することはほとんど無くて、否定しかしてなかったと思います。

当時は家にいてもストレスが溜まるので、パソコンかゲームをしていました。
唯一家族全体で行動を取るのは年始の挨拶まわり。

そんな時でも家族と一緒にいるのはストレスが溜まるので、ずっとゲームをしてました。
これに関しては、今もゲームからパソコンに代わっただけで昔とあまり変わってないです(笑)

そんな感じで、お互いに関わることを避けているうちに、兄たちは順番に実家を出ていくことで、ますます関係のない人になっていった為、本当に他人のような感じでした。

そんなすれ違いばかりの僕らでしたが、ある事をきっかけに会話をするようになりました。

それは今年の6月に発覚した父の認知症(アルツハイマー)です。

これとは別に母親の鬱と買い物依存によるトラブルがきっかけで兄弟でLINEを通して話し会う機会が増えました。

あれだけ会話をしてなかった僕らですが、不思議とまとまって話を進めることが出来ていて、トラブル自体は現在も続いておりますが、順調に各自の役割をこなしていっています。

あるやり取りをしていた時に話していたことですが、僕と同じく兄2人も家族に全く興味なかったし、どうなっても関係ないと思っていたという話をしていました。

僕達のそんな考えを変えてくれたのは、自分の奥さんという話でした。

違う家庭を見て、自分の考えを改めたそうです。もちろん僕もそうでした。

他の家庭と大きく違ったのは、両親・兄弟含めて素直に自分の気持ちを表現しなかったことでしょうか。

僕自身、高井さんや今の奥さんに会うまでは、人間関係で気にいらないことがあれば、話し合いはせずに逃げてきました。

これが北村家全体で起きていたので、結果的に仲の悪い家族になっていました。両親に限ってはこれが原因で過去に多くのトラブルを発生していました。

自分の気持ちを素直に伝えていれば、回避できていたトラブルもあったでしょう。

締めとしましては、結婚して別の家族が介入することで、新たな価値観を持った家族ができるっていいなぁと思いました。

20代後半の方々は、親の老後については早めに対策をとっておくことをおすすめします!
聞きにくいかもしれないですが、老後の生活プランを確認して問題ないかを確認しておく必要はあります。

そして僕みたいに家族に興味がない人もいるかもしれないですが、親はいつか死にます。
だからこそ後悔しないように親孝行をしてくださいね。親がいるからこそ、僕らは生まれたんです。

育ててくれた親に感謝して、たまにはご飯食べたり、連絡してあげてください。

僕の父もこれからは忘れていく一方で悲しくもありますが、今まで頑張ってくれた分、楽しい思い出を作れるようにサポートしていきたいと思います。

Jul 18, 2017

今日は佐竹氏のGEEKです

佐竹って夏な感じがします。

シュールなギャグが好きな佐竹。

で、この曲を思い出します。

見た目はお坊さん度低いですが、

中身はお坊さんでした。昔から。

目黒区民体育館の前でよく話をした。

目黒区民プールにもよく一緒に行きました。

友達のカリーナのクロールが想像以上だったので2人でびっくりして水中で目を合わせ大笑い。

後で僕だけカリーナに怒られました。

そんな佐竹、何度バタフライを教えても溺れてる人になります。

泳いだ後は目黒のラーメン二郎。

食べ過ぎていつも気持ち悪くなりました。

将来彼が自分のお寺をもったら

今流行りの座禅ツアーを組みたいと思います。

正座が苦手な僕ですが。


5. 諸悪莫作 by Satake

佐竹です。

仏教には「諸悪莫作 衆善奉行(ショアクマクサ シュゼンブギョウ)」という言葉があります。

一般的には、

「諸悪莫作」…もろもろの悪をなすことなかれ

「衆善奉行」…もろもろの善を行え

という意味になりますが、実際の意味は少し違います。

1回で2つ説明すると長くなるので、今回は「諸悪莫作」の説明をします。

ここで言う「諸悪」とは「もろもろの悪」のことなんですが、

ものごとの中の性質を「善性(善の性質)」「悪性(悪の性質)」「無記性(善でも悪でも無いもの)」

の3つに分けた時の「悪性(悪の性質)」のことを言いますが、

この3つの性質の定義は時代や人によって様々に変化します。ケースバイケースですよね。

国の為に命をかけて戦うことが善とされてた時代もあれば、戦争自体が悪とされている時代もあります。

豚を食べるのは悪とされている宗教もあれば、特に関係なく食べる人もいますよね。

善とか悪とか善でも悪でも無いもの基準は、時代や人で変わります。

と言うことは、3つの性質「善性(善の性質)」「悪性(悪の性質)」「無記性(善でも悪でも無いもの)」

は固定的、実体的なものではないと言えます。まずこれが前提になります。

その上で、「諸悪莫作」…もろもろの悪をなすことなかれ

の意味ですが、普通に考えれば

「悪いことをするな!!」といった意味だと思います。

しかし、そうではなく

「悪が作られないところ」と言うのが「諸悪莫作」本当の意味であり理想とする世界です。

例えば、泥棒が僕の家に入ってきて、僕が泥棒を殺しました。

この行為が悪とされる時代だったとして、

普通、僕が泥棒を殺さなければよかった、それがこの問題の解決だと思いますよね。

しかし、これでは1つの悪しか解決できません。

どうゆうことか。

この一連のストーリーには、

①「僕が泥棒を殺したと言う悪」

と、

②「泥棒が泥棒を殺したと言う悪」

の2つの悪が存在しています。(普通に人は①の悪しか見えませんが、真理(ものごとの本質)を知っている人は②まで見えます。)

この中の①しか解決できませんよね。

じゃあ②はどうゆう意味でしょうか。

泥棒が泥棒にならなければ(僕の家に侵入しなければ)、泥棒は死ななかったのです。

つまり泥棒が泥棒になったことで、泥棒が死んだのです。ここが②「泥棒が泥棒を殺したと言う悪」です。

この①と②の悪をどっちも解決する為には、僕が泥棒を殺さないだけでなく泥棒が泥棒を殺さない状況でないといけません。

その状況とは、泥棒が泥棒にならなければ(僕の家に侵入しなければ)よかったと言うことです。

泥棒が泥棒にならなければ(僕の家に侵入しなければ)、僕が泥棒を殺すこともないし、泥棒が泥棒を殺すこともなかった。

根本的な解決になりますよね。

これが、「悪が作られないところ」つまり「諸悪莫作」です。

じゃあこれを実践するってどうゆうことでしょうか。

みなさん自分のコミュニティーがありますよね。友達のコミュニティーだったり会社だったりです。

そこで何か問題があった時、まずは自分一人でも悪をしないようにしていきましょう。

ただ、これだけではさっきのように①しか解決できません。

でも、その悪をしないようにという考え方が友達なり会社だったら同僚なりに派生していってコミュニティー全体が悪はダメって空気になった時、根本的な解決になります。

ここに関しては、個人だけではできないことで、宗教のように集団で行うことの重要さでしょう。

会社で問題解決のために共通意識をもって仕事することって1人じゃ全然クリアできなかった問題が意外に簡単にクリアできたりしますよね。

自分を変えることはもちろん大事ですけど、残念ながら1人だけでは表面的な問題しか解決できないんだと思います。集団としての考え方が変わった時、根本的な問題が解決されるのではないでしょうか。

そして、コミュニティー全体が「悪が作られないところ」(悪いことができない場所)になった時、「諸悪莫作」が完成します。

次回は、「衆善奉行」…もろもろの善を行え

です。

〈今月の真美〉