Feb 14, 2017

バランス by Kameoka

亀岡です。

今回は、お客さんとのバランスについて。

先日、友人に「どうして美容院(10年程お世話になっていた所)変えたの?」と聞かれて「なんかいつも同じ感じになって、飽きたから」と答えて、、その帰り道(なんで美容院かえたんだろ?飽きたから⁇)って引っかかって考えたんですが。。

美容院に行くと「どうしますか?」と聞かれて「いつもの感じで」と言っておきながら…⁈理由がそれなんです汗。

「今回はこんな風にしてほしい」が言えなかったのと、ボヤッとイメージはあるけど伝えるのが面倒(?)で「いい感じにして下さい」って言って、結果、10年くらい前髪パッツンのオカッパ生活(笑)

例えば、お花屋さんで

私「会社の送別会があるので予算〇〇で花束を作って下さい」

花「どんな雰囲気をご希望ですか?」

私「いい感じにして下さい」

で、出来上がった花束を受け取りに行ったら(思ってたのと違うなぁ…)って。

単純にこちら側のわがままです。私、よくこういうことになります汗。

向こうは歩み寄って聞いて下さっているのに、要望も言わずに出来上がりに(ん〜…)って、とても失礼な話。

当たり前な話ですが、いい関係性ってイメージをうまく共有できて、尚且つ+αなにか付いてきたら最高だと思います。

パターンの仕事で言うと、デザイナーさんから絵型なりイメージをもらって話を詰めていくときに「この生地だったらこのシルエットは難しい」「この絵だったらここに切り替えがないとできない」とかを、「この生地を使いたいからデザインこうしたらどう?」「切り替えは入れたくないけど…なんかない?それか、、」っていうキャッチボールが多ければ多いほど、イメージがしっかりできていいものが出来上がります。

最低限(思ってたのと違う…)にはなりません。

ままま、一か八かでサンプルUPしたときは「あぁ〜やっぱりそうなったか〜(マイナス)」はありますけど、「すごくいい!(プラス)」ってなることも。

やってみないと分からないことっていっぱいあるし、経験値で勝手に決めつけるのもよくないなと思ったり。だから面白いです。

お客さんに「イメージ通りのサンプル♪」って言ってもらえると嬉しいです。

それが「なんか…ちょっと…」と濁されると、打合せの段階で私がちゃんと聞き出せなかったんだと反省します。

遠慮して言えなかったりするのはよくないな、と思うこの頃。

自分発信のときも、伝えることって大事だなと。

お互いの関係性にもよりますが、そのバランスによって出来上がりが左右されるので、バランスの良いキャッチボールを心掛けたいものです。

仕事 by Maeda

こんにちは。前田です。

今回は仕事の事について書きたいと思います。

実は去年の11月に転職しました。

前は住宅売ってたんですけど、どんなにスゴいスーパー営業マンでも住宅業界はプライベートの時間が取れないという事が明確に分かったので辞めました。

でも子供も生まれたばかりだし、そんな時に転職先も決まってないのに辞めるのは正直やばくない?

とも思ったんですけど、家族との時間が取れない事が一番嫌でしたし、上司の事が吐き気がするくらい嫌だから辞めました。奥さんも辞めることに賛成でした。

辞め方がB型だと思います。先のことあまり考えない笑。夫婦でB型だとストッパーが効かないので危険です笑。

今はソフトウェアの会社に同じく営業として転職しました。

住宅営業で実績を残してきた自負がありましたが、今の会社で直属の上司に見事に打ち砕かれ、自分なんか大したことないことを思い知らされました。

いやーまだまだだなーと。伸びしろがあるっていうことが分かるとワクワクしますよね。

今は必死に勉強中ですが、自分が成長していく実感があって非常に楽しいです。
趣味というより仕事にハマってます。

自分の事をつらつらと書いてしまいましたが、人生の半分以上の時間は仕事ですからね。人生の半分がつまらないものになるのは御免です。

さ、勉強しよっと。

1.Now by Satake

佐竹です。

去年は、仏教の教えは、普段僕らが普通に生活している中に起こりうる迷いと答えに、リンクできること。

それと僕が生活していて感じたことを仏教フィルターを通して説明しました。

気難しい話ではないんだということを伝えたかったんです。

今年は、ちょっとまじめな感じで、道元禅師が書いた正法眼蔵の流れに沿って、それを僕なりの文章で書いて生きたいと思ってます。



人が迷うときはいつも原因があります。

それは考え方が原因です。

普通、薪は燃えると灰になりますよね。

僕らは目の前に現れているものは、いつか無くなると思い込んでいます。

しかし、逆に考えてみてください。

灰は薪になりません。

灰が薪にならないということは、薪も灰にはなりません。

薪は薪として存在し、灰は灰として存在しています。

薪は薪で前後があって、灰は灰で前後ががあるのです。

ただそれだけです。薪と灰の間は断ち切れています。

それを僕らに当てはめると

生が死になるわけではないということです。

生があります。一方で死があります。それだけ

生きているときは一生懸命生を全うし

死んでいるときは一生懸命死を全うする



それが仏教の過去現在未来の考え方です。

仏教は過去から未来への一方通行の考え方をしません。

過去は過去、現在は現在、未来は未来。

その中でも僕らは現在でしか生きられません。



例えば

大きなプロジェクトを任せたいと上司に言われます。

成功したら評価は大きく上がります。

でも万が一失敗したらこの会社にはいられないでしょう。

普通そう考えて悩みます。

でも、成功したからって評価が上がるかどうかはわからないし

失敗したからって会社にいられないかもわかりません

余計な未来を想像するから悩むんです。

今は今でしかありません。未来とは断ち切れています。

薪と灰の間が断ち切れているのと同じですね。

この考え方ができるようになると、未来の不安に翻弄されずに、自分はそのプロジェクトがしたいのかどうか、今の自分と相談できます。

これが今を生きるということです。

結果は自然についてきます。

今の自分と生きましょう