Feb 14, 2017

1.Now by Satake

佐竹です。

去年は、仏教の教えは、普段僕らが普通に生活している中に起こりうる迷いと答えに、リンクできること。

それと僕が生活していて感じたことを仏教フィルターを通して説明しました。

気難しい話ではないんだということを伝えたかったんです。

今年は、ちょっとまじめな感じで、道元禅師が書いた正法眼蔵の流れに沿って、それを僕なりの文章で書いて生きたいと思ってます。



人が迷うときはいつも原因があります。

それは考え方が原因です。

普通、薪は燃えると灰になりますよね。

僕らは目の前に現れているものは、いつか無くなると思い込んでいます。

しかし、逆に考えてみてください。

灰は薪になりません。

灰が薪にならないということは、薪も灰にはなりません。

薪は薪として存在し、灰は灰として存在しています。

薪は薪で前後があって、灰は灰で前後ががあるのです。

ただそれだけです。薪と灰の間は断ち切れています。

それを僕らに当てはめると

生が死になるわけではないということです。

生があります。一方で死があります。それだけ

生きているときは一生懸命生を全うし

死んでいるときは一生懸命死を全うする



それが仏教の過去現在未来の考え方です。

仏教は過去から未来への一方通行の考え方をしません。

過去は過去、現在は現在、未来は未来。

その中でも僕らは現在でしか生きられません。



例えば

大きなプロジェクトを任せたいと上司に言われます。

成功したら評価は大きく上がります。

でも万が一失敗したらこの会社にはいられないでしょう。

普通そう考えて悩みます。

でも、成功したからって評価が上がるかどうかはわからないし

失敗したからって会社にいられないかもわかりません

余計な未来を想像するから悩むんです。

今は今でしかありません。未来とは断ち切れています。

薪と灰の間が断ち切れているのと同じですね。

この考え方ができるようになると、未来の不安に翻弄されずに、自分はそのプロジェクトがしたいのかどうか、今の自分と相談できます。

これが今を生きるということです。

結果は自然についてきます。

今の自分と生きましょう