Oct 14, 2015

先日ブルーベリーの海に沈んだ
Bのカリスマ渡司です。

普段より高井さんから何か日記を書いてと言われ
だらだら数ヶ月、

だらだら考えることの好きな僕は
下記の文章もだらだらです。

結論付けるって、考えることをやめる事だと思いません?
(理屈は神レベルです)

というわけで普段とりとめもなく考えている事。

まず「感動(衝撃)」有りと思う。

「おぉ!!」「あっ!!」「え!?」この瞬間のみ(そこには時 間の概念は無い)が
【美】との遭遇ではないかと。

過ぎ去った時にはもうそこには無い。

「発見」ともとれるが「在った(既に)」とも感じる。

artはその瞬時を表現し得たものが優れていると考える。

【美】に優劣は無く、時間すら介在しない。

作品になる以前の何かを感じたいと思う。

作者の心に興味がある。

常に敏感でありたいと願う。


最初の感覚は触覚であったに違いないと。
おそらくそれが最初の感覚です。

われわれの生殖の全感覚は触覚と関係しています。

よりよく触れようと触覚が望んだとき、
触覚から視覚が生まれました。

見ることは、より正確に触れようとすることにほかならないのです。
《ルイス・カーン建築論集》


朝顔や つ るべとられて もらい水

-中略- 夏の自然が暁の光に目覚める、
爽やかな朝の空気のなかに咲く花を前にして、
美しいものへの繊細な感性に恵まれたこの閨秀俳人から、
感動のあまり「朝顔や」という言葉が口をついで出る。
《鈴木大拙/禅仏教と芸術》


ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから
《甲本ヒロト/リンダリンダ》