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Jul 6, 2019

VINTAGE KIND

感覚的に好き。

ボロボロでクッタクタでカッコイイです。

感覚重視の大らかな方

良いですよ。


< VINTAGE TEE /  STEVE KING >
                     color / white
                     size  /  XXL
                     price   6000yen
                     model 176cm



<VINTAGE  TEE /  KNOXVILLE >
color  / white
size / XL
price  / 6000yen
model 176cm




< VINTAGE TEE /  SUPER CLEAN >
                     color /  white
                     size  /   XL
                     price    6000yen
                     model  176cm



< VINTAGE TEE  /  LORD'S GYM  >
color   /   blk
size   /  XXXL
price   /  6000yen



< VINTAGE TEE / RAIDERS FOOTBALL >
color  / blk
size  / XL
price /  6000yen










                                            

Oct 10, 2018

ハゲ。

GEEKのお洒落なお坊さんSATAKEから連絡がありました。

町田でシェリーさんを見た。と

で、可愛かった?とか色々質問ぜめしてたからめんどくさいのか

家庭感が出てました。とか

以外に顔がちっさかったとか

服装がダサすぎ。なんて酷い言葉。

最後には僕はタイプじゃないんで。と

彼女の援護じゃないですが

シェリーの魅力を。少し


歯並びが可愛い。髪がサラッサラ。

笑顔が楽しい。スタイルが健康的でイイ。し、太っても可愛い。

すぐ太るのもかわいい。

清潔感100%.

肌が綺麗。野球ができる。ドレスを着た時のギャップがすごい。

自分を持っている。楽しそう。

この辺りですね。

完璧にタイプですね<笑>

SATAKE氏は、ハゲなので許しますが、

今からハゲと呼びます。

僕の周りでシェリーがタイプって人にあった事がありません。

まぁ、ロリータどもには分からないか。

明日、木曜日はFUN STUDIOはお休みになります。

母親が来るので洋服巡りの旅ですね。

このほぼスッピンのシェリーも可愛いですよ。

服装は突っ込んではダメです。

シェリーに求めてはダメ。










Feb 15, 2018

キース・ヘリング by Satake

佐竹です。

山梨の八ヶ岳にあるキース・ヘリング美術館に行ってきました。

キース・へリングは、ウォーホルやバスキアとも交流が深かった80年代にニューヨークで活躍したストリートアーティストです。

80年代のアメリカではインフレの激化、失業率の増加、経済の混乱とともに、大都市では治安が悪化していたようです。

実際に作品を見てみたら、これこそキース・へリング!って感じの、ポップで単純に夢や希望を読み取れる作品は多かったです。

でも意外だったのは、政治に対する批判的なメッセージだったり、弱者の立場に立って社会の常識に対する批判的なメッセージの作品が多かったことです。

キース・へリングのこうゆうカウンター的な要素の作品を見て仏教の始まりもそうだよな、と思い出しました。

仏教ができた当時のインドやネパールでは、「バラモン教」という宗教がありました。

バラモン教は、バラモンを最上位とするカースト制度を作っている宗教で、人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる、という教義があります。

しかし、このカースト制度は、親から子へ受け継がれるため、生まれによって階級が決まってしまい、下の階級の家系はいつまでも奴隷のような生活を強いられていました。

釈迦は、王族出身なのでクシャトリヤ階級という上からナンバー2の階級なのですが、

「 生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉 なのである」

と言い、仏教を開きました。

生まれで、人間の価値は決まるんじゃない、行為(行い)によって人間の価値は決まる。と言ったんです。

釈迦もキース・へリングも、社会の主流な考え方が間違っていると思ったら、「違う」と表現できる人間ですね。

それが、宗教でも絵でも一緒だと思います。

僕らもそれぞれの表現方法で、間違っていることには「違う」と言える人間になっていきましょう。












 〈 今月の真美 〉

Jan 18, 2018

映画 by Satake

佐竹です。

今回は仏教じゃなくて映画です。

今上映中の「gifted ギフテッド」見ました。

泣きました。

本当の幸せってなんなんだろうなって考えさせられました。

みんな願っていることは一緒なのに、考え方が違うことによって衝突し遠ざかってしまう。

でも、仮に遠ざかってしまったとしても、

人と人とが本音で向き合って生きて行くことは、人生に深みを与えてくれる気がしました。

いい映画でした。


〈今月の真美〉



Dec 15, 2017

8−2.八大人覚 by Satake

佐竹です。

前回に引き続き、「八大人覚(はちだいにんがく)」についてです。

「大人(だいにん)として覚知すべきこと八つ」です。

ここでいう大人とは、ただ生物的に成長しただけのオトナではなく、

真に人間としてふさわしい心を持ち、行動できる人物を言います。


前回は8つのうち①〜④までを紹介しました。

今回は残り4つです。


⑤「不忘念(ふもうねん)」

守正念(しゅしょうねん)とも言います。

教えを守って失念しないこと、これを「不忘念」と言い、また「正念」と言います。

いい教えを学んでも、覚えているうちはいい行動ができますが、

忘れてしまえばその後は行動に移すことはできません。

「この考えはいい。これから続けていこう」と思っても、

覚えているうちはできます。

ただ、忘れてしまえばできません。

それだけ、「忘れないこと」は重要なことなんです。

道元は、この「不忘念(ふもうねん)」と言うのを、

鎧(よろい)を身に着けて敵陣に入れば、恐れることがないのと同じだ、と例えています。

「忘れない」と言うことを実行すれば、自分自身に自信をつけて思い切り行動できるでしょう。

⑥「修禅定(しゅぜんじょう)」

禅定というのは、サンスクリット語のディヤーナ(ジャーナ)を禅那(ぜんな)と音訳したものから禅をとり、意訳した言葉としての「定」
を合成したものです。

みなさんが思っている「禅」と考えてもらえればいいと思います。

意味としては、「教えを心に留めて乱れない」ということです。

僕たちの心は常に上下左右に乱れています。

鳥が泣けば、「あ、鳥だ」と心が鳥に向かいます。

サイレンが鳴れば、「なんかあったのかな」と、心が向かいます。

人の心は、簡単に自分の意思とは違う方向にもって行かれます。

そして、心が散乱してるから、あっちがいい、やっぱこっちがいい、というように迷ってしまいます。

自分の心を管理することができれば、本当に自分が求めていることに真っ直ぐになれます。

心を落ち着かせること、それが「禅」です。

⑦「修智慧(しゅちえ)」

これは、智慧を修め行なうことです。

「智慧」と言っても、一般的な「知恵」←(※漢字が違います!)とは違います。

後者の「知恵」は、世間を泳いで渡るために必要なスキル的なものです。

仏教の言う、「智慧」は違います。

教えを聞いて(学んで)、

それについて思い(よく考えて)、

自分で修める(実践する)、

と言うことです。

【インプットして、自分に落とし込んで(消化して)、アウトプットする。】

この三段階が大事です。

⑧「不戯論(ふけろん)」

戯論(けろん)とは、サンスクリット語でプランバジャと言って、意味は「物事が複雑化すること」、です。

複雑化する原因は必要のない考えであり、それを離れることが「不戯論(ふけろん)」です。

例えば、あなたの大切な人が死んだとします。

でも、それは単純に死んだだけのことであり、もう生き返ることはありません。

なのに、人はなんで死んだのか、原因はなんなのかと考えて悩み、悲しみます。

本当に悲しむべきことは、「死んだ事実」だけなのに、「なんで」がプラスされます。

この「なんで」はいらない議論ですよね。複雑化しています。「なんで」が原因で、人は余計に苦しむのです。

「死んだ事実」だけを悲しむことができれば、いい見送り方ができます。



以上、今年1年間で、道元が書いた「正法眼蔵」の重要な部分を一通り説明しました。

最後(⑧「不戯論(ふけろん)」)は、仏教のエグい部分を書いたんでマジかと思った人は多いかもしれませんが、重要な箇所なので書きました。

この辺が仏教の簡略的思想(ミニマム)のわかりやすいところかなと思います。

僕の今年のgeekを通して読んでもらえば、道元の思う仏教の重要な部分は理解できるように作ったつもりです。

読んだことがない人はsatakeを2017年の1月から順番に読んでもらえば嬉しいです。


【今月の真美】

Nov 18, 2017

8−1.八大人覚 by Satake

佐竹です。

今回は、「八大人覚(はちだいにんがく)」についてです。

「八大人覚」とは、「八・大人・覚」に分けられます。

「大人(だいにん)として覚知すべきこと八つ」です。

ここでいう大人とは、ただ生物的に成長しただけのオトナではなく、

真に人間としてふさわしい心を持ち、行動できる人物を言います。

前回の記事でいう菩薩のことです。

つまり、悟りを求める人が心得るべき8つ、のことです。

この「八大人覚」はブッダがこの世を去る直前、多くの弟子や動物たちの前で説かれたものです。

8つ説明すると長くなるんで今回は①〜④まで説明し、来月残りの4つを説明します。


①「小欲(しょうよく)」

人間に起きる欲望は5つあります。

財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲です。

このうち、自分がまだ満足していないものを、満足させようとしないことを小欲と言います。

この「小欲」を実践すれば、自分の意見を曲げてまで他人に媚びへつらい、他人に迎合しようとはしません。

また、感官の対象に心が奪われることもなくなります。

だから、何かに憂えたり、怖れることはなく、心に余裕があり、不足することがありません。

②「知足(ちそく)」

これは、足るを知る、ということです。

普通、足るを知る、というと、与えられたもので満足する、と考えがちですが、

ものごとには、与えられるものだけではなく、自分で努力して手に入れたものもあります。

例えば、知識やスキルなどです。

その努力して得た知識やスキルなども、独り占めしないで、他者にも惜しみなく与えましょうと言うことです。

前回の記事の「布施」にも近いですね。

③「楽寂静(ぎょうじゃくじょう)」

喧騒の場所を離れて、独り静かな場所に居することです。

ただ、僕はこの「楽寂静」の本当の意味は、単に都会を離れて田舎に行けばいいという意味だとは思いません。

そうゆう物理的な解決ではなく、

たとえ都会や大勢の人の中でも、多数派の意見に流されることなく、本当の自分の考えはなんなんなのか、

常に考え、自分の心としっかり向き合うこと。さらにそれを主張できることを言います。

④「勤精進(ごんしょうじん)」

これは精進することです。

善いことに中断なく勤めることを精進と言います。

純粋で混じりけがなく、進んで退かないことです。

例えば、少ない水でも、常に流れていれば、石に穴を空けます。

善いと思ったことは、停滞せず退かない、常に前に進むことです。

これが精進すると言うことです。


以上、今回は「八大人覚」の最初の4つです。来月は残り4つを説明します。



《今月の真美》

Oct 21, 2017

7.菩提薩埵四摂法 by Satake

佐竹です。

今月は、菩提薩埵四摂法(ボダイサッタシショウボウ)についてです。

菩提薩埵(ボダイサッタ)は、「悟りを求める人々」という意味で、僧侶でなくても仏道を歩むもの(仏教を信じている人)を言います。

これを略して、菩薩(ボサツ)と言います。こっちの方が聞いたことある人は多いと思います。

四摂法(シショウボウ)は、菩薩(ボサツ)が実践すべき四つの項目です。

その四つが、①「布施(フセ)」②「愛語(アイゴ)」③「利行(リギョウ)」④「同事(ドウジ)」です。

つまり、悟りを求めるなら、この四つを行って徳を積んでいきましょうってことです。

まず、この四つに共通する考え方は、利他行(リタギョウ)であるということです。

自分の利益のためではなく、他人の利益のためにする実践です。

じゃあ、この四つについて説明します。

①「布施(フセ)」

布施というのは、言い換えれば「不貪(フトン)=貪らない」ということです。自分が持っているものを、人にも分け与えることです。

僧侶であったら「仏教の教え」が自分が持っているものにあたりますね。このgeekの皆さんも、それぞれの得意な知識や知恵を惜しみもなく広めてくれています。

これが、布施にあたります。これは、お金でも一緒なので、いわゆるお布施の語源であり、募金にもあたります。

教え、知識、知恵、考え方、金、なんでもいいですけど、自分が得たものを独り占めしないで惜しみもなく他人にも与えることを言います。

②「愛語(アイゴ)」

これは、心のこもった、愛のある言葉を常に心がけることです。

ただし、追従、お世辞、へつらい、口先ではダメです。気をつけてください。それは上司にゴマすってるその辺のおっさんと一緒です。

③「利行(リギョウ)」

利行は、立場の上下に関わらず、いろんな手段を使って利益を与えることです。

これは、会社の社長だったり上に立つ人は、特に意識した方がいいですね。

愚かな人は、他人に利益を与えれば、自分の利益がなくなると思っていますが、利行というのは自分他人のラインを超えた実践です。

僕のgeekを何回か読んでくれた人ならわかると思いますが、利益っていうのは、そんな天秤にかけるようなものではありません。

社長が部下に仕事に見合った利益を与えれば、部下もしっかり仕事をする意欲に繋がって、結果、会社に利益をもたらします。

部下もしっかり仕事をすれば、会社の成長に繋がり、結果、社長に利益を与えることができます。

お互い、そうゆう関係性を作っていくことは大切です。

重要なことは、

僕らは、自分の利益と他人の利益というものを、別々に考えてしまいがちですが、一緒だということです。

④「同事(ドウジ)」

同事というのは、言い換えれば「不違(フイ)=違わない」ということです。

自分と他人を違った存在と捉えず、

他人を自分と違った存在と捉えないことです。

ある思想家が言った言葉に、

海は水を拒否しない、それが故に大海になることができる。

山は土を拒否しない、それが故に高山となることができる。

明君(賢い君主)は人を嫌厭(ケンエン)しない、それが故によく民衆を統治できる。

というものがあります。

これが、同事ということです。


以上が、仏教を信じている人が行うべき4つの実践です。

1つでも意識してみたら、なにか変わりそうですね。



《今月の真美》


Sep 18, 2017

衆善奉行 by Satake

佐竹です。

2回前のgeekの続きです。

2回前の記事はこちら↓
http://www.fun-diary.com/2017/07/5-by-satake.html?m=1

「諸悪莫作 衆善奉行(ショアクマクサ シュゼンブギョウ)」の話です。

一般的な意味は、

1「諸悪莫作」…もろもろの悪をなすことなかれ

2「衆善奉行」…もろもろの善を行え

という意味です。実際の意味は少し違います。

前回は、1「諸悪莫作」について説明したので、今回は、2「衆善奉行」についてです。

基本的には、前回の解釈と一緒で、「悪」を「善」に置き換えて、「莫作」を「奉行」に置き換えて考えれば分かりやすいと思います。

「もろもろの善を行え」という意味ではなく、

「もろもろの善が自然に行われるところ」という意味です。

仏教はの考え方は、絶対的な神という存在があって、神の命令によって人が動いているわけではありません。

ブッダ(仏陀、仏、悟った人)という存在は、いい師匠のようなものであって、僕たちにアドバイスをしてくれているだけです。

仏教を開いた釈迦もブッダの一人であり、元々は同じ人間です。

なので、善を行えというような命令によって僕らが動かされるようではいけません。

僕らが、自然(無意識)に善を行なっている状況でなければいけないのです。

ただ、1「諸悪莫作」の回でも書いたように、自分が善だとして思ってしたことも、他人にとって善であるとは限りませんよね。

余計なお世話というやつです。

じゃあ、他人の立場に立って考えればいいかというと、そうではありません。

さっき書いたように善悪の判断というものは、自分と他人でも違うし、時代によっても変わります。

ということは、人間が判断できないことなのです。

だから、善とか悪とかの判断をやめなさいということです。

いちいち判断した上での実践というものは、真の実践にはならないということです。

悪いことをしようとしても、自然にできなくなる。

善をしようと意気込むことなく、自然に善をしてしまう。

そうゆう人間になることが、仏道修行なんです。



次に、
渡司くんの先月のgeekに答えます。
http://www.fun-diary.com/2017/08/by-watashi.html?m=1

「諸悪莫作 衆善奉行」

に関連した禅問答があります。

これを渡司くんにプレゼントしようと思います。


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居易いわく
「何如ならんか是れ仏法の大意」

道林いわく
「諸悪莫作、衆善奉行」

居易いわく
「もし恁麼にてあらんは、三歳の孩児も道得ならん」

道林いわく
「三歳孩児縦道得、八十老翁行不得なり」

恁麼いふに、居易すなはち拝謝してさる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

現代語にすると、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

居易いわく
「いかなるかこれ仏法の大意」

道林いわく
「諸悪莫作、衆善奉行」

居易いわく
「そんなことなら、三歳の童子だって言えますよ」

道林いわく
「たとえ三歳の童子に言えるにしても、八十の老翁も行ずることはできぬであろう」

道林がこのように言ったとき、居易は一礼をして去って行った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

勉強をして知識を得たり、いろんな方向から物事を見て判断することはとても重要です。

でも、それと同じくらい、何も知らない時(初心)は重要です。

判断する基準がないから真実が見えているんです。

三歳の心に戻って見てみれば、目の前をその場において感受できるんじゃないでしょうか。

【今月の真美】

Aug 21, 2017

Paris by Satake

佐竹です。

フランスのパリに行ってきました。なので今月は仏教はないです。

現地では実質丸3日だったんですが、パリ市内だけだったんで結構行けました。

美術館に結構行ったんですけど、ルーブルのような伝統的なアートからオランジェリーのモネ、ポンピドゥセンターの現代美術、もっと最近で新進気鋭のアートばかりを扱うパレドトーキョーまで、全部良かったです。

特にピカソは、あんま興味なかったんで教科書に載ってるようなのしか知らなかったんですけど、色使いがキレイなのが多くて意外にかっこよかったです。

街は、建物自体結構古いのが多いんですけど、そこにちゃんと人が住んでるからか、建物が生き続けている感じがしました。

フランスは築年数が古い方が家賃上がるとか言いますし、いいものを壊れるまで使うんでしょう。

車も古いモデルやボコボコでも普通に走ってました。フランスの大衆車とスマートが多かったです。

ファッションはみんな上手いなって印象でした。安そうな服でもちゃんとサイジングと差し色やアクセサリー使ってかっこよく着る見せ方を知ってる感じです。

あとメンズは特に黒人がめちゃめちゃオシャレでした。ヒップホップになりがちですけど、パリの黒人はほぼモードでTシャツをインするとか普通でした。ブラッドオレンジみたいな感じです。逆に白人の方がイタリア系の嫌な感じが多かったですね。

3日あれば結構見れるし黄昏好きな人はセーヌ川で黄昏られるしセレクトショップやデパートもいいし、ワインもパンも上手いしパリめっちゃ良かったです。水だけは硬水しかないけど3日ならイケます。

建物でも服でも何でも、いいものやいいデザインのものを壊れるまでずっと使うっていう感じがしました。

ちゃんと自分のスタイルがあって、いい意味で流行との距離感を保ってる人が多かったです。



























【今月の真美】