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Jul 18, 2017

今日は佐竹氏のGEEKです

佐竹って夏な感じがします。

シュールなギャグが好きな佐竹。

で、この曲を思い出します。

見た目はお坊さん度低いですが、

中身はお坊さんでした。昔から。

目黒区民体育館の前でよく話をした。

目黒区民プールにもよく一緒に行きました。

友達のカリーナのクロールが想像以上だったので2人でびっくりして水中で目を合わせ大笑い。

後で僕だけカリーナに怒られました。

そんな佐竹、何度バタフライを教えても溺れてる人になります。

泳いだ後は目黒のラーメン二郎。

食べ過ぎていつも気持ち悪くなりました。

将来彼が自分のお寺をもったら

今流行りの座禅ツアーを組みたいと思います。

正座が苦手な僕ですが。


5. 諸悪莫作 by Satake

佐竹です。

仏教には「諸悪莫作 衆善奉行(ショアクマクサ シュゼンブギョウ)」という言葉があります。

一般的には、

「諸悪莫作」…もろもろの悪をなすことなかれ

「衆善奉行」…もろもろの善を行え

という意味になりますが、実際の意味は少し違います。

1回で2つ説明すると長くなるので、今回は「諸悪莫作」の説明をします。

ここで言う「諸悪」とは「もろもろの悪」のことなんですが、

ものごとの中の性質を「善性(善の性質)」「悪性(悪の性質)」「無記性(善でも悪でも無いもの)」

の3つに分けた時の「悪性(悪の性質)」のことを言いますが、

この3つの性質の定義は時代や人によって様々に変化します。ケースバイケースですよね。

国の為に命をかけて戦うことが善とされてた時代もあれば、戦争自体が悪とされている時代もあります。

豚を食べるのは悪とされている宗教もあれば、特に関係なく食べる人もいますよね。

善とか悪とか善でも悪でも無いもの基準は、時代や人で変わります。

と言うことは、3つの性質「善性(善の性質)」「悪性(悪の性質)」「無記性(善でも悪でも無いもの)」

は固定的、実体的なものではないと言えます。まずこれが前提になります。

その上で、「諸悪莫作」…もろもろの悪をなすことなかれ

の意味ですが、普通に考えれば

「悪いことをするな!!」といった意味だと思います。

しかし、そうではなく

「悪が作られないところ」と言うのが「諸悪莫作」本当の意味であり理想とする世界です。

例えば、泥棒が僕の家に入ってきて、僕が泥棒を殺しました。

この行為が悪とされる時代だったとして、

普通、僕が泥棒を殺さなければよかった、それがこの問題の解決だと思いますよね。

しかし、これでは1つの悪しか解決できません。

どうゆうことか。

この一連のストーリーには、

①「僕が泥棒を殺したと言う悪」

と、

②「泥棒が泥棒を殺したと言う悪」

の2つの悪が存在しています。(普通に人は①の悪しか見えませんが、真理(ものごとの本質)を知っている人は②まで見えます。)

この中の①しか解決できませんよね。

じゃあ②はどうゆう意味でしょうか。

泥棒が泥棒にならなければ(僕の家に侵入しなければ)、泥棒は死ななかったのです。

つまり泥棒が泥棒になったことで、泥棒が死んだのです。ここが②「泥棒が泥棒を殺したと言う悪」です。

この①と②の悪をどっちも解決する為には、僕が泥棒を殺さないだけでなく泥棒が泥棒を殺さない状況でないといけません。

その状況とは、泥棒が泥棒にならなければ(僕の家に侵入しなければ)よかったと言うことです。

泥棒が泥棒にならなければ(僕の家に侵入しなければ)、僕が泥棒を殺すこともないし、泥棒が泥棒を殺すこともなかった。

根本的な解決になりますよね。

これが、「悪が作られないところ」つまり「諸悪莫作」です。

じゃあこれを実践するってどうゆうことでしょうか。

みなさん自分のコミュニティーがありますよね。友達のコミュニティーだったり会社だったりです。

そこで何か問題があった時、まずは自分一人でも悪をしないようにしていきましょう。

ただ、これだけではさっきのように①しか解決できません。

でも、その悪をしないようにという考え方が友達なり会社だったら同僚なりに派生していってコミュニティー全体が悪はダメって空気になった時、根本的な解決になります。

ここに関しては、個人だけではできないことで、宗教のように集団で行うことの重要さでしょう。

会社で問題解決のために共通意識をもって仕事することって1人じゃ全然クリアできなかった問題が意外に簡単にクリアできたりしますよね。

自分を変えることはもちろん大事ですけど、残念ながら1人だけでは表面的な問題しか解決できないんだと思います。集団としての考え方が変わった時、根本的な問題が解決されるのではないでしょうか。

そして、コミュニティー全体が「悪が作られないところ」(悪いことができない場所)になった時、「諸悪莫作」が完成します。

次回は、「衆善奉行」…もろもろの善を行え

です。

〈今月の真美〉



Jun 17, 2017

メディテーション(瞑想)と坐禅の違いについて

佐竹です。

今月は、メディテーション(瞑想)と坐禅の違いについてです。

瞑想というのは、思いにふけったり、逆に無になったり、仏教、キリスト教やヨーガ、宗教色を排したものまで広くあるので

一言に瞑想ってこれ!とは言えません。調べてみると

・心を静めて神に祈ること
・何かに心を集中させること
・目を閉じて深く静かに想いを巡らすこと
 逆に
・心を静めて無心になること

こんな感じです。

瞑想っていう大きな枠組みの中に、坐禅だったりヨーガだったりがあるという考え方でいいのではないでしょうか。

色々考え方があるので、「坐禅」を明確化することで、それ以外の瞑想的なものとの違いをわかっていただければと思います。

実際の、坐禅の仕方よりも内容が重要だと思うので、そこを説明していきたいと思います。

まず、みなさんが坐禅について持っているイメージはこんな感じだと思います。

・目を閉じてじっとしてる
・無になる
・呼吸法の一種
・棒で叩かれる
・痛いのを我慢する

どうですか?近いのもあるけど本質は違います。

坐禅は、身心を調える行いであると言えます。身と心をニュートラルな状態にすると言うことです。

坐禅の中の一つの基本ではありますが、重要な考え方として、「調身」「調息」「調心」の3つがあります。

それぞれ、

「調身」…姿勢(身)を調える
「調息」…呼吸(息)を調える
「調心」…心理状態(心)を調える

姿勢と呼吸を調えることで、心理状態が調うと言うことです。

この基本がわかった上で、実際に坐禅をやってみたとします。

すると、姿勢をキープするのが難しくイライラします。

息を深く長くやろうと意識しすぎて逆に息が苦しくなったりします。

結果、心理状態がイライラ、ぐちゃぐちゃになります。

これでは坐禅でもなんでもないです。

「調える」と言う言葉の意味をそのまま受け取った結果こうなってしまいます。

主導権を握っているのが自分(自我)だから、「姿勢、呼吸、心理状態」を調えることができないんです。

主導権を握っているのは、自分(自我)ではなく、「身、息、心」なんです。

「身、息、心」に自分が従うことが重要です。

「身」自身が心地いいまっすぐな場所があるはずです。

「息」自身が無理がないペースと長さがあるはずです。

「心」自身のニュートラルな場所があるはずです。

自分が決めるんじゃなくて、「身、息、心」それぞれに従ってみてください。

それが無我(我が無い状態)、ということであり坐禅以外の瞑想的なものとは違う部分だと思います。

そして、坐禅を実際にすることで、「身、息、心」と会話できるようになったら、次はそれを実生活に落とし込んでいきましょう。

坐禅は、坐禅している時だけが坐禅ではなく、日常生活すべての時間が坐禅だと言われます。

実生活に落とし込むって言うのは、どうゆうことか。

このGEEKのメンバーには、建築家、美容師、メイク、教師、パタンナー、星座、食、自転車の皆さんがいますが、

例えば

建築家は、土地と材料と会話して、土地と材料自身が訴えかけてくるパワーや能力を形にする

教師は、子どの自身が持っている能力や綺麗な心に気づいて育てる

そんな感じです。

自分がやりたいようにやってやるって考え方じゃなくて、それぞれのものだったり、人だったりのいい部分を引き出すような考え方が大事なんじゃないかなと思います。

もし坐禅がしたくなったら、この動画を見てみてください。分からないことは高井さんを通してでもいいので僕に聞いてくれれば答えます。

http://www.soto-kinki.net/sp/zazen/manners.php

〈今月の真美〉

May 21, 2017

in NAGOYA

in NAGOYA

高井です。今帰ってきました。

やっぱ、夫婦になると似てきますね。

半年ぶりの佐竹夫妻も似てきてる。

いい男は女性を磨く。って言いますね。

竹、頑張ってねーー。








May 14, 2017

4.Buddha and Buddha by Satake

佐竹です。

仏教には「唯仏与仏」という言葉があります。

ただ仏と仏のみ、という意味です。

どうゆうことかというと、

仏の悟った真理というものは、仏と仏にのみ悟られるものであり、仏以外のものには悟られない。

普通の人には、仏の世界はわからないし、悟りを開くことはできないということです。

ショックですね。悟れないなら仏教信じる意味ないっすね。

じゃあ、どうすればいいのか。

簡単です。僕らが仏になればいいんです。

じゃあ、仏になるってどうゆう意味でしょう。

それは、仏に向かって一歩を踏み出すことです。

仏に向かって歩むことで、僕らは仏になれます。

そして、以前いた仏たちの足跡を丹念に学ぶことで、悟りをひらくことができます。

それが、「唯仏与仏」ということです。

ここでいう仏とは「自分の理想とする人」であり、悟りは「夢」に置き換えることができます。

それは、夢を現実のものにするには、その夢を現実のものにした人たちについて知ることが大事だということです。

自分の夢近づくためには、その夢を現実のものにした人たちの考え方や価値観、ライフスタイルを学んで実践していくことが大事です。

当たり前のことですが、重要なことですね。


最近見つけた「禅」たちです









今月の真美

Apr 13, 2017

一切衆生悉有仏性 by Satake

佐竹です。

仏教にはこんな言葉があります。

「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」

これは一般的に

生きとし生けるものは、すべて仏陀になる可能性 (仏性) をもっており、すべて悟りうる。

と解釈されます。これは

それぞれの個々の中に仏となる可能性である芽があって、次第にその芽が仏という花を咲かせる。だから自分の中にある芽を大事に育てていかなければならない。

という考え方になります。


しかし、道元の解釈の仕方は、違います。

生きとし生けるものが、悉有(全宇宙)であり、その悉有(全宇宙)が仏性である。

とします。これは

僕たちは、自分の中に仏の本性があるのではなく、仏の本性の中でキョロキョロ迷いながら生きている。

ということになり、それに気付くことが重要なのです。

では、この教えは何を意味しているんでしょうか。

ここでいう「仏の本性」は、「幸せな世界」を意味します。

僕らは幸せになりたいと願いますが、人生は楽しいことだけではなく、落ち込むことや、辛いこと、悩むことがあります。

その時、僕らは「幸せな世界」の中に生きていることを忘れてはいけません。

すでに、幸せの中に生きているんです。

そこを理解していると、すでに幸せの中に生きているんだから、落ち込む時は落ち込めばいいし、辛い時は苦しめばいい、悩む時は悩めばいい

と、考えられます。

その時その時を素直に受け入れて生きている状態が、煩悩がない状態、つまり幸せな状態なのです。

苦しみから逃れようとするから、苦しくなるんです。

苦しい時は苦しみの中にいればいいんです。

【今月の真美】


Mar 14, 2017

2.Belief by Satake

佐竹です

今日は死後の世界について

仏教はインド発祥なので、死後の世界観には、昔のインド人が考えた世界観があります。

それは、人は死んでから7日目ごとに審判を受けその結果によって次の生が決まるというものです。

1回の審判によって次の生が決まらない者は、2回目、3回目と審判を受け続け、

最後の審判は、7回目になります。

これが、初七日から四十九日までのことで、故人が仏になれるように願い、遺族は法要を行います。

その、死後49日間を、「中有(ちゅうう)」と言います。

この期間、死者は「三宝(さんぼう)」を常に唱えなさいと道元は言います。

「三宝」とは

「仏」「法」「僧」の3つのことです。

それぞれ説明します。

・「仏」ホトケ…ブッダ(Buddha)。悟った者のことです。

・「法」ホウ …ダルマ(dhárma)。仏の教え。真理のことです。

・「僧」ソウ …サンガ(saṃgha)。出家者の集団。僧侶のことです。

この仏法僧をまとめて「三宝」と言います。

仏教徒にとっては宝物のようなもので、これを唱え、死後の世界まで仏教を忘れずに持って行きなさい、という意味です。

また、仏教は、子供が父母を選択するので、次の父母を選択し胎内に宿りますが、中有の期間を過ぎて、次の父母の胎内に宿る時も常に「三宝」を唱えなさいと言います。

では、この道元の教えは何を意味しているんでしょうか。

ここの「三宝」を唱え続けるというのは、仏教を信じるという「志」を次の世界に持っていくことを意味します。

僕らは、何かを目指そうとするとき、「志」がないと心がすぐ折れてしまいます。

この「志」を、生の世界から死の世界に行く時(次のステップに進む時)も持ち続けなさいということです。

そしてさらに、死の世界から生の世界に行く時(次のステップに進む時)も持ち続けなさいということです。

これは、僕たちが目標に向かって行く時に、必ず次のステップに進む時が来ます。

それは、昇進だったり、独立だったり、一つの成功を得た後だったりします。

次のステップに進む時、人は「志」を忘れてしまう時があります。

初心を忘れて、夢や希望を忘れて、正しさを忘れて、世の中の都合を優先し、何かと理由をつけては、正しいと思っていることをやらず、逃げたりします。

そうなりそうになった時は、死後の49日間の話を思い出してみてください。

「志」をもう一度思い出して、強く生きることができますよ。

【今月の真美】

Jan 15, 2017

Smart by Satake

佐竹です。

年末年始は高井さんのお母さんに譲ってもらったsmartで宮城帰りました。

街を走ってても、止まってても、大人も、子供も、みんなsmartを見て笑顔になってたり、指差して笑ってました。

地元のおじいちゃん達にも人気ものでした。

ただ目立つ車なだけではないと思います。

高井さんが、smartの1番すごいことは、サイズをデザインしたことだって言ってました。

新しい概念をこの世に生み出したんです。

仏教が生まれた時や、海を越えて日本に来たとき、人々は新しい思想や哲学に希望を持ってたんだと思います。

そして、時が経って、日本においては、宗教はもういらないよねってなっていた

でも、今また、人間の心の退化に気付いてきた人達が、宗教って新しいねって言ってる。

もっとアップデートして、そうゆう人達に伝わるような伝え方を見つけて行かないといけないと思いました。

去年、geekでそれをチャレンジしてきたけど、もっとイケる気がしてます。

ライバルはsmartです。

今年の目標です。




〈今月の真美〉

Dec 15, 2016

クリスチャンボルタンスキー by Satake

佐竹です。

家から徒歩10分の所にある東京都庭園美術館で、クリスチャンボルタンスキーの展示会をしてたんで行ってきました。

東京都庭園美術館とは、朝香宮家は久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王が1906年[明治39]に創立した宮家です。

鳩彦王がフランスに留学していたこともあり、建物には当時全盛期だったアール・デコの精華が積極的に取り入れています。

そんな歴史ある建物の中に、現代芸術家のクリスチャンボルタンスキーが作品を展示しています。

まず、「さざめく亡霊たち」っていう作品



当時交わされていたであろう会話が各部屋ごとに次々に音声で流れてきます。

当時ここに住んでいた人、足を運んだ人、様々なストーリーがイメージできます。

過去に、この場所には、色んなストーリーがあったんだろうなって、気づかせてくれます。

次に、「心臓音のアーカイブ」


色んな人からサンプリングした心臓の音がバクバクと音声で流れてきて、それに合わせてこの赤い電球が点滅する部屋です。

これも、人それぞれストーリーがあることを気づかせてくれます。

そして、最後に「アニミタス」


「アニミタス」は、過去にチリの4000mを超える高原で制作した風鈴のインスタレーションです。

「アニミタス」とは、スペイン語で「小さな魂」を表す言葉です。

これは、チリの砂漠の路傍に小さな祭壇がありました、つまり交通事故があった場所にインスピレーションを受けた作品です。

その、亡くなった小さな魂が、風鈴の音として風がある間、永遠に音を鳴らし続けます。

亡くなった人の心が、永遠に音を鳴らし続けているような感じでした。

ボルタンスキーの作品は、すごく葬式に近いですね

葬式って、亡くなった人がいて、その葬式の会場にいる全員がその瞬間に、亡くなった人のことを思う。

会場にいる人それぞれの心の中にその人が生きている。

そこが、葬式の重要な部分です。

僕らが、亡くなった人を思うとき、その亡くなった人は僕らの心の中に生きています。

その亡くなった人を知っている僕らが死んだとき、本当の意味で亡くなった人が死ぬんです。

葬式は、亡くなった人のためにあるんだけど、同時に僕ら生きている人のためにあります。

僕たちは、僕たちより前に生きていた人、「先祖や関わった人」によって作られている、僕らの物質としての肉体も、心である精神も全て「先祖や関わった人」の影響を受けています。

そこに気づくこと

そして、「先祖や関わった人」を思う僕たちが生きている間は、「先祖や関わった人」は僕たちの心の中で生き続けているんです。

それが、葬式の意味なんじゃないかなと思います。

亡くなった人を思うことは、亡くなった人がまだ生きている証拠です。

是非お墓前りに行って、自分にとって大切な、亡くなった人の生き様を思い出してみてください。

自分のこれからの生き方に影響を与えてくれる、大事な存在になると思いますよ。

【今月の真美】

【先月の真美】

Nov 13, 2016

アニッシュ・カプーア by Satake

佐竹です

この前、アニッシュ・カプーアの展示会に行ってきました

アニッシュ・カプーアは、1954年にインド・ムンバイで生まれ、現在はロンドンを拠点に活動する彫刻家です

彼の作品は、光を反射する物質を使ったり、逆に光を吸収する塗料を使ったりして、視覚を混乱させるようなのが多いです

写真で見た作品がカッコよくて見に行ったんですが、実物はいい意味で全然違いました

めっちゃビックリでした

こんな物質初めて見た、って感じっす

ジェームズタレルを見たときに近い感覚なんですけど、タレルは空間に自分が溶けていく感じで、

カプーアは、自分とその作品の間がなくなって吸い込まれていく感じです

それはタレルが、自分と空間(世界)の関係性を表現しているのに対して

カプーアは、自分と物質(相手)との関係性を表現しているようでした



これが、仏教でいう「自他不二」なんだと思います。

「自他不二」というのは、

【自利(自分)と利他(他人)とは別人でありながら、大きな命の世界においては、境目はないという考え方

ゆえに自己を愛する者は他人を愛し守る者でなければならない】

ってのが一般的な感じなんですけど、

ちょっとわかりづらいっていうか、ん?何言ってんのコイツ!?って感じですよね、分かります。

もうちょい分かりやすくすると、

例えば、自分は、好きでやりがいがある仕事をしているとします。給料は少ない方です。

テレビで汚職している官僚のニュースを見て、

「なんだあいつは、心が汚いやつだな。消えろ。俺の方が給料は低いけど心は綺麗だ!」

って思います。

これは、自分と他人を分けて考えているから出る考え方なんです。

これが「自他不二」を知っている人だと

「ヤバイヤバイ、たまたま権力がなかったから犯罪を起こさなかったけど、権力があったら同じことをしていたかもしれない。気をつけよう」

と自分にも、その官僚と同じことをする可能性があることを知れるのです。同じ人間なんだと気づいているからです。

だからその官僚にも罪を償って早くいい人間に変わってほしいと思えます。

「自他不二」とは、自分も他人もちょっと立場が違えば同じことをするかもしれないということを知ることなんだと思います。

そのためにはまず、アニッシュ。カプーアを見て、自分と他の境界線を壊すところから始めましょう。











Oct 15, 2016

しまなみ海道 by Satake

この前の連休にしまなみ海道に行ってきました。自転車を持って

しまなみ海道とは愛媛県今治市から6つの島を通って広島県尾道市まで続く橋です。
自転車道路が整備されているんでサイクリストの聖地とか言われています。

1日目(出発)
5;00起床
綺麗な朝日



7;30発のフライトだったんで羽田空港へ

自転車を預け

ベーグルとコーヒーを飲んで愛媛へ

ついてバスで今治まで

10;00頃サイクリングスタートです

20分くらい漕ぐと橋に出ます。


すごく開放的で、自分が青空と一緒になります。


みかんの木です
初めてみたかも





だんだん、日が沈んできて、自分が夕方に溶けていきます
かたわれ時です

今日はこの辺でフェリーに乗って尾道へ
瀬戸田港から尾道に渡ります

今日の宿泊場所は、ONOMICHI U2です

ここに来たかったんです
ここは港湾の倉庫をリノベーションして作ったサイクリスト向けの宿泊施設(自転車なくても泊まれます)
中には、レストラン、カフェ、バー、ファッション、雑貨、ジャイアントショップなんかがあります
一泊一人17,000円くらいですけど他には金使うところあんまりないし絶対泊まった方がいいです
めっちゃテンション上がりますよ









レストランで食事とワインを飲んで

今日は幻想的な瀬戸内海の夜の中に入って寝ます。


2日目
出発です




昨日フェリーに乗った瀬戸田港にフェリーで戻ります

途中、名産のレモン丸ごと一個入ったスカッシュ飲んだり、チョコレート工場にもいきました


 
残りのしまなみ海道を制覇して、夕方に尾道に着です

自転車ルートだと70㎞なんですが、色々寄り道も含めて100㎞くらいです。

2日間あればゆっくり回れて初心者でもちょうどいいと思います。

興味あったら行ってみてください

レンタルもいろんなところでやってるみたいです

自分と自然が溶け合って、気持ちいいですよ

【今月の真美】