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Oct 12, 2016

Smart

高井です。

この車僕と弟が買って東京で乗っててお母さんに奪われ7年。

で、佐竹が買いたいとゆうので佐竹家にお嫁に行きました。

夜京都を出発して朝6時に東京に着いた。

で家で少し寝てLADY'Sの展示会とMEN'Sの展示会に行った。

夜、佐竹が家に来て佐竹宅に行った。

マミちゃんも帰ってて写真を。

なんか車のセールスマンみたい。

で、佐竹と納車記念にドライヴ。

スマートはいい車。

都会にピッタリなサイズ。

もう10年過ぎてるけど元気に走る。

今日からは佐竹とマミちゃんの車。

週末はこれに乗って首都高をぐるぐる走ってた。

何か考える時に。

で嬉しそうにしてる佐竹を見て、<ハゲだななぁ。>

と思いました。

で家に送ってもらって甥っ子のイーノのほっぺたばっか触ってました。

まだ1歳半なので犬みたいでした。

僕の毒が出始めてきたからか、次の日イーノが風邪をひきました。

少し責任を感じました。








Sep 16, 2016

ナムジュンパイク/非思量 by Satake

仏教には「非思量」という言葉があります。

これは坐禅をする時によく言われるポイントです。

「非思量」とは、考えることによって伴う「とらわれ」を脱した状態のことです。

人間は、シンプルに、そのままを見る(体感する)べきなのに、

考えが先行してしまうと「そのもの」が見れなくなってしまいます。

人間が、迷ったり、悩んだりする時にはいつもここに問題があります。

そのままを見てない(体感してない)ということです。

だから仏教は、「知得(知り得ること)」だけではなく、「体得(体験を通して自分のものにすること)」を重要視するんです。

例えば、ロードバイクを買おうとめっちゃ調べて、カーボンだから軽いしやわらかいし最強じゃん。クロモリ(鉄)なんて重いだけでダメでしょ

ってことで、カーボンのロードバイクを買って乗ってました

クロモリ乗ってる人を馬鹿にしてました。重いだけで全然ダメでしょと

でも、実際クロモリ乗ってみたら、適度な重さがあってスピードが乗るとなんとも言えない安定感があって、

長距離乗ったあとの疲れがあんまりない

あー俺は間違っていたと気付くんです

これは体感しないとわからない。

でも、仏教の教えを言葉で表す時点で、体得とは逆に行っていますね。

それが仏教をややこしくしている一つです。

よく仏教の本とか意味わからんという話を聞きます。僕もその一人です。回りくどい

でもそうゆう風に説明しないと誤解が生まれるんでしょうがないのもわかります

そこでナムジュンパイクの「TV仏陀」の出番です






ナムジュンパイクは、ビデオアートの先駆け的な現代芸術家ですが、彼の中には仏教の思想が明確にあってよく仏教の作品が出てきます。

前3つの「TV仏陀」は、仏像に向けられたビデオカメラは仏像をTVに映し出し、それを仏像がみています。

このひとは天才だと思いました

これこそ「非思量」です

文章で説明するよりパッとみて分かるでしょう

自分「そのもの」を直感的に見てる

この仏像とTVの間には、「考え」は存在してません

考えてないでしょ?

ただありのままを見てる

すごくわかりやすいですね。

僕は好きです。



Aug 15, 2016

お盆/Radiohead


今月は、時期なんでお盆についてです。

お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といって、それが省略してお盆になりました。

お盆が始まった理由は2つあって、

①日本に昔からあった先祖供養の習慣(まつり、儀式)に、
②後から日本に入ってきた仏教の「目連伝説」と言う伝説が混ざって今のお盆になりました。

それぞれ説明すると、

①まず「先祖供養の習慣」です。昔から日本には初春と初秋の満月の日には、先祖が地上へと戻ってくるから迎い入れおもてなしをする行事、というのが行われてました。これは先祖供養と収穫や豊穣をお祈りするという2つの意味がありました。この初春と初秋の行事は、それぞれお正月とお盆に変化したと言われています。

②次に「目連伝説」です。目連っていう人がいて、この人は神通力っていう超能力みたいなのが使えるんですけど、修行の最中に亡くなった母親の姿を探したんですよ。そしたら餓鬼道(迷いがあるものが輪廻するという6つの世界の1つ。僕らがいる「人間道」もその1つ。)っていうまあイメージでいうと地獄みたいなところに堕ちているのを見つけました。母親は喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出しました。でも口に入る直前に炎になって、母親の口には入らなかった。マジか、と思って、釈迦にどうすればいいか聞くと、「修行の最後の日(7/15)にすべての僧侶に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えました。その通りに実行して、僧侶のすべてに布施(飯等をあげること)を行うと、僧侶たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをしました。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。っていうまあ良いことをすれば願いが叶うっていう意味も含まれてると思うんですけど、そんなストーリーです。

この2つの風習が混ざって、7/13から7/15に亡き人が地上に戻ってくるから供養しようって感じに落ち着きました。ただこれは旧暦での話で東京を含む関東等では7月にお盆をやりますが、その他の地域は新暦の8月にお盆をやっていて一般的なのは8月のほうっすね。

僕の周りも結構多いですけど、最近はなかなかお墓参りとか行けない人も多いと思います。

でもこの機会にお墓前りに行って先祖のことを少し考えてみるのもいいと思います。
お盆は忙しいよ、って人は別にお盆じゃなくてもいいんで実家帰ったら行ってみてください。

なんか単調な生活の繰り返しでこのままでいいのかなーって思ってる人はまずお墓参りっすね。
現代人にとっては、普段しないことだし先祖について考える機会はあんまりないような気がするんで、自分の命や、自分の人生についての考え方が変わるキッカケになると思います。

話は変わりますけど、この前近所の目黒シネマで映画「JUNUN」を観に行きました。
レディオヘッドのジョニーグリーンウッドがインドでイスラム神秘主義のスーフィズムと深い関係にある宗教歌謡からインスパイアされた音楽を、インドの人たちと作りあげていく様子を撮っただけのものです。

でも、僕にとってはすごいよかったです。

今の自分や今の音楽ってものに満足せずに、ちゃんと宗教や文化からもインプットしているからレディオヘッドは進化していけるんだと思います。

あと、宗教やってる僕として嬉しかったのは、やっぱりこの人達も宗教や伝統を取り入れているから、より気高く、より深みがある音楽になっているんだろうなって感じたことです。

僕たちも宗教や伝統をとりいれて、より気高く、深みがある人間になっていきたいですね。

動画は映画館でJUNUNのあとに上映された、Daydreamingです。やっぱかっこいいっすね。




Jul 13, 2016

自然 by Satake

先月、北海道に行ってきました。

函館と、標津です。標津は真美の実家なんですけど、日本じゃないみたいでいいです。試される大地ですね。

僕は、大都会の憧れとか、リアルやストリートにすごく興味があったんですけど、最近、自然の良さを知ってきました。

自分でも意外でした。

ライアンマッギンレーの影響もあるかもしれません。

まだ、自分でも消化しきれてないんですけど、いいんです。

非現実な感じが

意識の前に戻る感覚ですね。

坐禅って、何も考えないとか言うじゃないですか。

実際は、何も考えないんじゃ無くて、意識とか、考えると言うこと以前に戻ることなんです。

その感覚に近いです。

たまに、そうゆう非現実を味わえる場所に行くのはいいですね。

自分がフレッシュになります。

こうゆうのを仏教でなんとかって言うんですけど忘れました。思い出したらまた書きますね。

写真と動画載せます。








Jun 15, 2016

夢と現実

仏教にはこんな言葉があります。

「月を指すには指が必要である。だが、その指を月と思うものはわざわいなるかな。」

月が見るべき対象なのに、愚か者は指を見るということです。

もっと具体的に言えば、自分の夢があって夢を叶えるためにいろんな努力をします。

でも、だんだんその努力をすること自体に気持ちいってしまい、本来の目標を見失ってしまうことを言います。

何か夢があって会社に入って努力してたのに、

気づいたら、昇進したくて、昇進するための努力に変わっていくことですね。

これは誰にでもあるし、気づかないうちにこうなってしまいそうで怖いですよね。

その時は、この「月を指す指」を思い出してください。

シンプルに、真実を見ることができます。

仏教は真実と自らの間に介入するすべてのものを嫌います。

自らが真実(夢)を見ている時は、自らと真実の間には何も存在しないのに

真実(夢)を追い求めようとすると、そこには葛藤が生まれます。

これは知性が作り出した無意味な区別にすぎないのです。

これ(昇進)を、真面目に受け取ったり、人生の重要な部分を思ったりする人は、「指」を「月」と受け取る人なのです。

禅は、直接真実を見ることを目指します。

直感です。

この動画は、めちゃくちゃヒットです。普通の生活がかっこよく見えます。

https://www.instagram.com/p/BF7mAb9q6Z2/


May 15, 2016

Ryan McGinley/Sigur Ros/坐禅

佐竹です。

オペラシティのRyan McGinley行ってきました。

やっぱいいですね。

少年に戻れます。ピュアで、クリーンな時に

ずっと少年で生きていきたいけど、色々邪魔が入って一筋縄にはいかないですね、

そうゆう時は、Ryan McGinleyの写真と、Sigur Rósの音楽を聴いて、坐禅をすれば一発で戻れます。

僕はやっぱりまだ、少年のまま居続けるには、現実に負けてしまいます。

だから、助けを求めるんです。Ryan McGinleyと、Sigur Rósと、坐禅に

Ryan McGinleyで少年と自由を手に入れ

Sigur Rósで夢を見て、

坐禅で現実に立ち向かいましょう。

人は、自分自信の心は自分自身でコントロールできていると思っています。

それが坐禅をすると、全く違うことに気づきます。

例えば、朝、坐禅をしていると、鳥が鳴きます。

心が、少し鳥に動きます。

自分では、集中しているつもりなのに、いとも簡単に、鳥にもっていかれてしまう。

自分でコントロールできる心なんて、実はそんなになかったのかな、と

それに気づく時間が坐禅なんです。

心のバランスをとるのって一番難しいです。

それをやるためにはまず、自分の心はナニモノで、どれだけ揺れ動いているのかを、知る必要があります。

心を、少し、知ることができれば、少し、現実に立ち向かっていけると思います。

Ryan McGinleyは、「私は、夢と現実が対等な関係で混ざり合っている雰囲気に興味を抱いてきました」

と言っています。

少年の心を取り戻し、現実に負けないで、夢に向かっていきましょう。

オトナになるのはまだ先でいい。

最後にRyan McGinleyがPVを作った、Sigur Rósの曲をどうぞ


Apr 15, 2016

NEW YORK

佐竹です。

新婚旅行でメキシコのカンクンとずっと行きたかったNew Yorkに行ってきました。

カンクンもすごく良かったんですがここではNew Yorkについて書きます。

今回のGEEKは、仏教ネタは無しです。

事前に竹内さん、小川くんに色々情報を教えてもらって大分助かりました。

自分だけで調べてたら無理でした。(教えてもらった半分くらいの店は制覇しました)

New York行ってビックリしたことはいちいちカッコいいことと、人が優しいっていうことです。

これは東京もそうですが、大都会って意外に優しい人が多いんです。

優しさが映えるというか、でもNew Yorkは東京とか香港に比べると全然優しいですしフレンドリーでした。結構そこは感動です。

それとやっぱみんなテキトーで信号無視は当たり前で警察ですら信号無視でしたね。
さすがO型社会です。

僕はコーヒー好きなんですが、東京だとまだまだサードウェーブ系って言うほど浸透してなくて外で美味しいコーヒー飲もうと思うとカフェでさえおいしいのあんまなくて結構探すの大変なんで結局自分で豆買ってきて入れるってことになります。(おかげでコーヒーグッツ一式揃いました)

でもびっくりしたんですが、New Yorkだとカフェはもちろん、ドーナッツ屋とかでさえほとんどサードウェーブ系のエチオピア、ガテマラ、ニカラグアあたりの浅煎りです。
しかも2ドルとかで。

竹内さん小倉くんに教えてもらったeggってブランチ系のところは、コーヒー屋でもないのに浅煎りのフレンチプレスででてきてビックリしました。

やっぱり、いいものは一瞬で広がる場所なんだなって思いました。
スピードが速いですね。

日本だとパン屋はパンだけでコーヒーまでこだわるところあんまりないんですよね。

ビールだってIPAどこでも置いててよかったです。

そうゆう最先端を当たり前のように受け入れる町の雰囲気が好きでした。

あと、ブルックリン。

ここは日本にいてもブームみたいになってたんで全然期待してなかったんですが、めちゃくちゃ良かったです。

日本にはあーゆー場所はないな、って思いました。

ブルックリンは自由で、おしゃれな人も結構多かったです。オススメです

最終日に、夜中3時くらいに夜中までやってるハンバーガー屋があったんで行ったんですが、クラブ帰りの若者たちが薄暗い店内のソファーでハンバーガー食べながら1日の余韻に浸ってる感じが映画みたいですごくよかったです。

わかってたことですが全然時間が足りないっすね。また行きたいです

色々書いたんですが、旅行って文化が全然違う場所に行くからそれぞれ感じ方があって楽しいですよね。

多分この日記もあんまり伝わってないんだろうなって思います。
でも少しでも雰囲気伝われば幸いです。

最後に、New Yorkの写真と小川くんのインタビューどうぞ


Mar 15, 2016

無常 / Bon Iver

前田さんと同じく、ガラスのハートのハード佐竹です。

この前、ボンイヴェールのライブに真美といってきました。

写真載せておきますんでみてください。やばかったです(客層は半分外人でした。日本人元気出せ)。

やっぱ東京はいいっすね。

仕事終わりにボンイヴェール行けたり、ライブもほぼ全部東京が会場の一つになるし、服も雑貨も飯も日本初は大体東京からです。

僕も真美も東京が好きです。
最初大学の時に上京してきた時を今でも覚えています。
刺激的で新しく、心が寂しくても、寂しさを感じさせない街。
あと社会人なってから思うのは、仕事終わってからも遊べたりショッピングとかできるから、平日が平日じゃなくていい。

でも、実は僕と真美は、数年後東京生活に終わりが来ます。

だから、いまのうちに東京を遊びまくろうと思っています。

もう、この瞬間がないと思っているからです。

でもそれが分かっているいるだけで、景色が変わります。

仏教ではそれを「無常」と言います。
世の中の全てのものは移り変わって同じものはない。
「常(つね)は無い」ということです。
人間はいつも、今の自分と1年後の自分が同じだと思っています。でも、実際には、人間の60%は水でできていてそれは全部入れ替わっているし、細胞だって新しくなっています。全く別人です。

イメージで言うと、
僕らは人生が連続性がある動画だと思っています。

でもその動画は、静止画の連続です。

1コマ1コマが連続して続いていくんです。

この1コマのことを「刹那」と言います。一瞬ってことです。
僕らは命は一生続いていると勘違いしてます。でも実際はこの刹那のたびに死んで、また生まれるを繰り返します。

刹那が繰り返されて人生になるんです。
だから人間は、なりたい自分に変われますよね。

スティーブジョブズもアメリカの曹洞宗の禅センターに通って禅を学んでましたが、こんなことを言ってました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいことだろうか?」

これは完全に「無常」を体得して、刹那を生きようとしている人の言葉ですね。

今を大切に生きたいです。そしてなりたい自分になっちゃってください。
そのほうが楽しいし、希望がある。









Feb 18, 2016

サトリ

ゆとりBの佐竹です。今回は「サトリ編」です

前回、釈迦は苦行にチャレンジしましたがやめてしまいました。

理由は、苦しい修行をいくらしても本当のサトリ(心の安らぎ)を得ることができなかったからです

そのとき、一緒に修行していた5人の仲間はやめた釈迦をみて、こいつは堕落したと思い去って行きました

そこで釈迦は場所を移し、新たな道を進むことにしました。

新たな場所につき、川で沐浴したあと、今までほとんど飯を食っていなかったが、村娘のスジャータから牛乳で煮たお粥をもらい食べてしまいました。

そして気力の回復を図って菩提樹と呼ばれる木の下で「今、サトリを得なければ生きてこの坐禅から立たない」と決意し、瞑想しました。

すると、釈迦の心を乱そうとマーラという魔神があらわれジャマしますが、丸一日の戦いの末、勝利し、

悟りを開きました。

※ちなみに乳製品のメーカーの「スジャータ」はここからきてます

釈迦は、このように、極端な修行の末に、

倒れるかか倒れないかのギリギリの精神状態で修行するよりも

必要最小限の栄養補給はして、食べ物に感謝して

心にある程度の余裕をもって修行するというハイブリットな修行の構造を発見しました。

人間の汚い心が嫌だ嫌だと言って、

それを苦しさ(苦行)で紛らわして、忘れ去ろうとしても何も変わらず

むしろ心の汚い部分が見えてきます

汚い心自体を受け入れ、その自分を知り、受け入れていった先に悟りがあるんだと思います。

一般的には悟りは人生で一回だけで、そこで人間が完成されるというような解釈が多いかもしれませんが

僕は最終目標ではなく、生活のなかに悟りはいっぱいあり、それを一つ一つ経験のなかでつかんでいくものだと思います。

例えば、好きなことをやっていて、うまくいく瞬間があって、「こうすればうまくいく」という方程式ができあがります

努力している時「キタ!これだ」みたいなのありますよね?それです、「1サトリ」です

それを経験として掴むことが悟りです。あくまで頭ではなく「経験として」という部分が仏教では重要です。

しかし、悟りは人生のなかに何回もあり、さらに掴んだと思ったら次のステップがあってどんどん深くなっていったり、忘れたりします

その状態をキープするのが一番難しいです。

釈迦は、その人生における悟りを全てその瞬間にゲットし、キープましたが

僕ら一般人はそうはいきません。一つ一つでいいと思います

うまくいった気持ちいい瞬間っていいですよね。

僕はそこを大切にしたいと思います

Jan 15, 2016

釈迦チャレンジ

好き避けを克服して世界一の奥さんをゲットした、ゆとり世代の坊主、ハード佐竹です。

Paul好き避け克服頑張れよ!

一ヶ月ぶりです。

渡司くんがここからの話は僕にって言ってました。多分坐禅の話だと思いますが、それは今度にします。ごめんなさい

今回は、釈迦の生涯から学ぶ  「チャレンジ編」です。

前回の記事を見てない人は先にそっちを見てください。12月10日の記事です。

では、話に戻ります。

前回の記事で書いたように、釈迦は出家したいと思い。出家しました。子供もいました。

因みに子供の名前はラーフラ(悪魔という意味)です。

子供が可愛いいので、自分の悟りを邪魔する存在だから、悪魔と名付けたようです。
やっぱB型です。しかも結構サイテーなほうの。

出家した釈迦は乞食となり、心の闇を開こうと多くの修行者・思想家に教えを請いましたが、満足を得られずに、当時、流行っていた苦行にチャレンジしました。

苦行の内容は、断食を主として、不眠、不呼吸等です。

これを6年間5人の仲間とやりました。
仲間は大事ですね、一人じゃ無理です。

しかし、全然心の安らぎは得られませんでした。

そこで、やーめた、とその場所を離れました。
(今まで6年間も続けてきたものを簡単に捨てることができるのもBです。ずっと続けてきた仕事に向いていないと気づいて、ヤーメタとやめれるのはB型の特権ですね。)

これを日常的な悩みに例えると、
前回、自分の目指したい人の方向性を決めましたね。

自分の目指したい人はまず自分自信を磨いていたことに気付きました。(竹さんとか北村さんが書いてたんでダイエットで)

自分がデブだったので痩せてる人に色々聞いてダイエットすることに。

最初はトレーニングオンリーの修行
筋肉はついたけど脂肪が残り、いい感じだけど求めてる体型にはなりませんでした。
ダメ

次にプールの修行
最初は脂肪が落ちてきたけどだんだん慣れてきて、これだけだとキープだけしかできない。むしろ筋肉落ちてきたかも、
ダメ

次に、酵素ダイエット
これは全然ダメでした

そこで流行ってた断食の修行を5人の仲間とやることに。

いい感じにストイックな感じに出てきていけるかなって思ったんですが、骨っぽい体になってきて、力でないし動けない、これじゃカッコいい人生送れないじゃん本末転倒?
と思って

ダイエットやーめた
って感じです。

釈迦も色々チャレンジしたけど、結局やめちゃいました。

チャレンジしてる時はこの曲です!

続きは次回


Dec 10, 2015

Hard Satake

こんにちは、AB型の父とB型の母を持つ、ハードBの佐竹です。ゆとり世代の坊主です。

僕は、「仏教的に生きるとは」について書きます。
今回は「スタート編」です。

仏教の特徴は神とかに助けてもらうとかじゃなくて、自分との戦いです。
ちゃんと向き合うんです自分と。

お釈迦様の生涯を追いながら、考えてみます。

僕は、難しいことは嫌いなんで専門用語とかこっちの解釈が正しいとかそうゆうの出来るだけ省きます。
僕の思う仏教です。

まず、仏教をひらいたお釈迦様はインド(現ネパールという説もある)で貴族の子供として生まれました。

生まれた直後、天上天下唯我独尊(この世の中で俺が一番ヤバイ人間だけど、どう?)と自分で言いました。
分かる人もいると思いますが、完全B型ですね。

出家を決意したキッカケですが、貴族なので、家に門があります。

東門から出る時老人に会い、南門より出る時病人に会い、西門を出る時死者に会い、人間には老いも病も死もある、と生まれたことの苦しみを感じました。

そして北門から出た時に一人の修行者に出会い、清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになったんです。

これって、誰にでもあると思います。

僕で言ったら、会社にイヤなおっさんいて、こうゆうおっさんはやだな。なりたくないな。ダサいな。って思います。
反対に、高井さんとか、スクエアープッシャートとか、ジェームズタレルとか、そうゆう人見たり、作品を見てると、こうゆうふうに生きたいなって思います。幸せそう、楽しそうだなって。
そこがスタートです。
お釈迦様は、出家することが、幸せに見えた。
じゃあ僕らは、幸せに見える人を見つけて、そこに向かって行けばいいんです。
それが、スタート。

仏教って難しいとか、何なの?とか言われます。

別に難しくとも何ともないです。単純。
誰にでもあるストーリーの人として大切な部分を、もう一回考えてみようってだけです。
今回は、「スタート」でした。

幸せな人生へようこそ。