これは坐禅をする時によく言われるポイントです。
「非思量」とは、考えることによって伴う「とらわれ」を脱した状態のことです。
人間は、シンプルに、そのままを見る(体感する)べきなのに、
考えが先行してしまうと「そのもの」が見れなくなってしまいます。
人間が、迷ったり、悩んだりする時にはいつもここに問題があります。
そのままを見てない(体感してない)ということです。
だから仏教は、「知得(知り得ること)」だけではなく、「体得(体験を通して自分のものにすること)」を重要視するんです。
例えば、ロードバイクを買おうとめっちゃ調べて、カーボンだから軽いしやわらかいし最強じゃん。クロモリ(鉄)なんて重いだけでダメでしょ
ってことで、カーボンのロードバイクを買って乗ってました
クロモリ乗ってる人を馬鹿にしてました。重いだけで全然ダメでしょと
でも、実際クロモリ乗ってみたら、適度な重さがあってスピードが乗るとなんとも言えない安定感があって、
長距離乗ったあとの疲れがあんまりない
あー俺は間違っていたと気付くんです
これは体感しないとわからない。
でも、仏教の教えを言葉で表す時点で、体得とは逆に行っていますね。
それが仏教をややこしくしている一つです。
よく仏教の本とか意味わからんという話を聞きます。僕もその一人です。回りくどい
でもそうゆう風に説明しないと誤解が生まれるんでしょうがないのもわかります
そこでナムジュンパイクの「TV仏陀」の出番です
ナムジュンパイクは、ビデオアートの先駆け的な現代芸術家ですが、彼の中には仏教の思想が明確にあってよく仏教の作品が出てきます。
前3つの「TV仏陀」は、仏像に向けられたビデオカメラは仏像をTVに映し出し、それを仏像がみています。
このひとは天才だと思いました
これこそ「非思量」です
文章で説明するよりパッとみて分かるでしょう
自分「そのもの」を直感的に見てる
この仏像とTVの間には、「考え」は存在してません
考えてないでしょ?
ただありのままを見てる
すごくわかりやすいですね。
僕は好きです。