今月は、メディテーション(瞑想)と坐禅の違いについてです。
瞑想というのは、思いにふけったり、逆に無になったり、仏教、キリスト教やヨーガ、宗教色を排したものまで広くあるので
一言に瞑想ってこれ!とは言えません。調べてみると
・心を静めて神に祈ること
・何かに心を集中させること
・目を閉じて深く静かに想いを巡らすこと
逆に
・心を静めて無心になること
こんな感じです。
瞑想っていう大きな枠組みの中に、坐禅だったりヨーガだったりがあるという考え方でいいのではないでしょうか。
色々考え方があるので、「坐禅」を明確化することで、それ以外の瞑想的なものとの違いをわかっていただければと思います。
実際の、坐禅の仕方よりも内容が重要だと思うので、そこを説明していきたいと思います。
まず、みなさんが坐禅について持っているイメージはこんな感じだと思います。
・目を閉じてじっとしてる
・無になる
・呼吸法の一種
・棒で叩かれる
・痛いのを我慢する
どうですか?近いのもあるけど本質は違います。
坐禅は、身心を調える行いであると言えます。身と心をニュートラルな状態にすると言うことです。
坐禅の中の一つの基本ではありますが、重要な考え方として、「調身」「調息」「調心」の3つがあります。
それぞれ、
「調身」…姿勢(身)を調える
「調息」…呼吸(息)を調える
「調心」…心理状態(心)を調える
姿勢と呼吸を調えることで、心理状態が調うと言うことです。
この基本がわかった上で、実際に坐禅をやってみたとします。
すると、姿勢をキープするのが難しくイライラします。
息を深く長くやろうと意識しすぎて逆に息が苦しくなったりします。
結果、心理状態がイライラ、ぐちゃぐちゃになります。
これでは坐禅でもなんでもないです。
「調える」と言う言葉の意味をそのまま受け取った結果こうなってしまいます。
主導権を握っているのが自分(自我)だから、「姿勢、呼吸、心理状態」を調えることができないんです。
主導権を握っているのは、自分(自我)ではなく、「身、息、心」なんです。
「身、息、心」に自分が従うことが重要です。
「身」自身が心地いいまっすぐな場所があるはずです。
「息」自身が無理がないペースと長さがあるはずです。
「心」自身のニュートラルな場所があるはずです。
自分が決めるんじゃなくて、「身、息、心」それぞれに従ってみてください。
それが無我(我が無い状態)、ということであり坐禅以外の瞑想的なものとは違う部分だと思います。
そして、坐禅を実際にすることで、「身、息、心」と会話できるようになったら、次はそれを実生活に落とし込んでいきましょう。
坐禅は、坐禅している時だけが坐禅ではなく、日常生活すべての時間が坐禅だと言われます。
実生活に落とし込むって言うのは、どうゆうことか。
このGEEKのメンバーには、建築家、美容師、メイク、教師、パタンナー、星座、食、自転車の皆さんがいますが、
例えば
建築家は、土地と材料と会話して、土地と材料自身が訴えかけてくるパワーや能力を形にする
教師は、子どの自身が持っている能力や綺麗な心に気づいて育てる
そんな感じです。
自分がやりたいようにやってやるって考え方じゃなくて、それぞれのものだったり、人だったりのいい部分を引き出すような考え方が大事なんじゃないかなと思います。
もし坐禅がしたくなったら、この動画を見てみてください。分からないことは高井さんを通してでもいいので僕に聞いてくれれば答えます。
http://www.soto-kinki.net/sp/zazen/manners.php
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〈今月の真美〉 |