前回に引き続き、「八大人覚(はちだいにんがく)」についてです。
「大人(だいにん)として覚知すべきこと八つ」です。
ここでいう大人とは、ただ生物的に成長しただけのオトナではなく、
真に人間としてふさわしい心を持ち、行動できる人物を言います。
前回は8つのうち①〜④までを紹介しました。
今回は残り4つです。
⑤「不忘念(ふもうねん)」
守正念(しゅしょうねん)とも言います。
教えを守って失念しないこと、これを「不忘念」と言い、また「正念」と言います。
いい教えを学んでも、覚えているうちはいい行動ができますが、
忘れてしまえばその後は行動に移すことはできません。
「この考えはいい。これから続けていこう」と思っても、
覚えているうちはできます。
ただ、忘れてしまえばできません。
それだけ、「忘れないこと」は重要なことなんです。
道元は、この「不忘念(ふもうねん)」と言うのを、
鎧(よろい)を身に着けて敵陣に入れば、恐れることがないのと同じだ、と例えています。
「忘れない」と言うことを実行すれば、自分自身に自信をつけて思い切り行動できるでしょう。
⑥「修禅定(しゅぜんじょう)」
禅定というのは、サンスクリット語のディヤーナ(ジャーナ)を禅那(ぜんな)と音訳したものから禅をとり、意訳した言葉としての「定」
を合成したものです。
みなさんが思っている「禅」と考えてもらえればいいと思います。
意味としては、「教えを心に留めて乱れない」ということです。
僕たちの心は常に上下左右に乱れています。
鳥が泣けば、「あ、鳥だ」と心が鳥に向かいます。
サイレンが鳴れば、「なんかあったのかな」と、心が向かいます。
人の心は、簡単に自分の意思とは違う方向にもって行かれます。
そして、心が散乱してるから、あっちがいい、やっぱこっちがいい、というように迷ってしまいます。
自分の心を管理することができれば、本当に自分が求めていることに真っ直ぐになれます。
心を落ち着かせること、それが「禅」です。
⑦「修智慧(しゅちえ)」
これは、智慧を修め行なうことです。
「智慧」と言っても、一般的な「知恵」←(※漢字が違います!)とは違います。
後者の「知恵」は、世間を泳いで渡るために必要なスキル的なものです。
仏教の言う、「智慧」は違います。
教えを聞いて(学んで)、
それについて思い(よく考えて)、
自分で修める(実践する)、
と言うことです。
【インプットして、自分に落とし込んで(消化して)、アウトプットする。】
この三段階が大事です。
⑧「不戯論(ふけろん)」
戯論(けろん)とは、サンスクリット語でプランバジャと言って、意味は「物事が複雑化すること」、です。
複雑化する原因は必要のない考えであり、それを離れることが「不戯論(ふけろん)」です。
例えば、あなたの大切な人が死んだとします。
でも、それは単純に死んだだけのことであり、もう生き返ることはありません。
なのに、人はなんで死んだのか、原因はなんなのかと考えて悩み、悲しみます。
本当に悲しむべきことは、「死んだ事実」だけなのに、「なんで」がプラスされます。
この「なんで」はいらない議論ですよね。複雑化しています。「なんで」が原因で、人は余計に苦しむのです。
「死んだ事実」だけを悲しむことができれば、いい見送り方ができます。
以上、今年1年間で、道元が書いた「正法眼蔵」の重要な部分を一通り説明しました。
最後(⑧「不戯論(ふけろん)」)は、仏教のエグい部分を書いたんでマジかと思った人は多いかもしれませんが、重要な箇所なので書きました。
この辺が仏教の簡略的思想(ミニマム)のわかりやすいところかなと思います。
僕の今年のgeekを通して読んでもらえば、道元の思う仏教の重要な部分は理解できるように作ったつもりです。
読んだことがない人はsatakeを2017年の1月から順番に読んでもらえば嬉しいです。
【今月の真美】